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地図で考える邪馬台国

かりに邪馬台国は有明海沿岸か有明海を通って行く国だとしたら


壱岐からの上陸地点は有明海への最短ルートを取る位置づけが望ましい。



伊万里から武雄まで、現在では直線距離で17キロくらいしかありません。古代の海岸線はこのあたり複雑だからもっと離れていたか、


あるいはもっと近かったか。


そして、抜けると武雄です。山越えの関所のようなこの武雄は竹ノ内の宿祢のゆかりの地ですし、この辺の山や丹=水銀が取れます。


そして武雄に抜けるともう有明海は目の前です。


武雄=伊都国説があるゆえんです。


しかしながら武雄に一大卒があって


糸島も博多湾などの北の国々が畏怖するというのは


少し無理があるのでは?



武雄から南にいけば熊本平野あたりが邪馬台国ということになるのでしょうか。



やはり糸島か唐津あたりに上陸して、糸島と福岡平野を東南方向に進み宇美町、大宰府あたりで川を下るというのが感覚的にフィットします。


しかし水行十日や20日はやはり数字が大きすぎます。


そこで



こんな架空の陸地を想定して記録されたことだったと。


これは後の都の東の海上に強大な邪馬台国の都があるぞという、牽制だったと。


北九州の筑紫平野の国をここまで引き延ばすことによって、誤の背後に同盟国をもったという脅しのための虚偽記載があった。


それを陳寿が書き写したのだと。そんな説も最近有力ですね。


そうするとますます混迷を深める邪馬台国です。



ぼくはこんな一地方勢力が地の利を生かして帯方郡に向かったと思ってます。


この纒向連合は投馬国の裏切りによってできる。


もしかしたら投馬国が出雲や纒向勢力と結託して、邪馬台国の背後で勢力を伸ばしていってのかもしれないなどと考えています。

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コメント

不弥人

日向がネックか
日向。宮崎県西都原遺跡。
このゾーンは一体なんのでしょうか?
神話にあふれているこの地は、なんらかの勢力がいたことは間違いない。
そして魏志倭人伝の明瞭な記録は、北部九州沿岸地帯まで。そのあとは望洋としています。日向が邪馬台国の勢力下か、あるいは狗奴国こそ日向なのか。
いずれにしても九州北岸だけですっぽり収まっていないところが、倭人伝の妙味でもあるわけですね。
日向に卑弥呼がいたら、しかしそこから北部九州を抑えることができるものなのか。
狗奴国=日向=大和王権と考えるほうが自然な気もします。

天地無我

Unknown
伊都国に津はあった。漁村風景の末羅国で上陸し徒歩での行程。、佐賀~武雄あたりが最も適合する。
伊都国が西岸の地にあっても、何らかの理由て゛、わざわざ僻地で上陸し歩いたのだろうか?。(核心の博多あたりをふせるためなど)

日向+北九州勢力が奈良に入植し、纏向連合。そして、出雲に対して「国を譲れ」とも。いずれにしても、日向勢力の活躍が有ったように感じます。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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