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邪馬台国近畿説とは?

邪馬台国畿内説には、琵琶湖湖畔、大阪府などの説があるが、その中でも、奈良県桜井市三輪山近くの纏向遺跡(まきむくいせき)を邪馬台国の都に比定する説が、下記の理由により有力とされる。



  • 考古学的年代決定論の成果により、その始期や変革期が倭人伝の記述と合致する遺跡であることが確実視されるようになったこと。

  • 吉備、阿讃(東四国)の勢力の技術によると見られる初期の前方後円墳が大和を中心に分布しており、時代が下るにつれて全国に広がっていること(箸墓古墳ほか)。

  • 北九州から南関東にいたる全国各地の土器が出土し、纏向が当時の日本列島の大部分を統括する交流センター的な役割を果たしたことがうかがえること。

  • 卑弥呼の遣使との関係を窺わせる景初三年、正始元年銘を持つものもある三角縁神獣鏡が畿内を中心に分布していること[6]

  • 弥生時代から古墳時代にかけておよそ4,000枚の鏡が出土するが、そのうち紀年鏡13枚のうち12枚は235年~244年の間に収まって銘されており、かつ畿内を中心に分布していること。この時期の畿内勢力が中国の年号と接しうる時代であったことを物語る。

  • 日本書紀神功紀では、魏志と『後漢書』の倭国の女王を直接神功皇后に結び付けている。中国の史書においても、『晋書』帝紀では邪馬台国を「東倭」と表現していること。また、正しい地理観に基づいている『隋書』では、都する場所ヤマトを「魏志に謂うところの邪馬臺なるものなり」と何の疑問もなく同一視していること。すなわち「魏志」がすべて宋時代の刊行本を元としているのに対し、それ以前の写本の中には、南を東と記載したものがあった可能性もある[7]


逆に、畿内説の弱点として上げられるのは次の点である。



  • 倭国の産物とされるもののうち、は主に北九州から出土する[要出典]が、畿内からは極わずかしか出土しない。

  • 「魏志倭人伝」に記述された民俗・風俗がかなり南方系の印象を与え、南九州を根拠とする隼人と共通する面が指摘されていること。

  • 「魏志倭人伝」の記述は北九州の小国を詳細に紹介する一方で、畿内説が投馬国に比定する近畿以西に存在したはずの吉備国出雲国の仔細には全く触れられておらず、近畿圏まで含む道程の記述とみなすのは不自然[8]

  • 「魏志倭人伝」を読む限り、邪馬台国は伊都国奴国といった北部九州の国より南側にあること



  • 実は淡路島こそ倭国の始原の地なのかもしれないなどとも思うようになりました。

  • 国生み神話のトップバッター。実は淡路は九州にあったという説もありますが。

  • しかしこの島は対馬くらいの大きさなのに古墳がない。不思議です。

  • あるいは沖ノ島と同様、島そのものが古墳なのかもしれない。ほったらどうなるのだ?というくらいすごいかもしれない。


越越人がここに漂着して、根拠地にしたら阿波にも奈良にも、播磨にも瀬戸内海から吉備、周防、国東、宇佐にもいける。


どうなのだろうか。淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)


淡という漢字は淡海(近江)、淡河、淡谷など自然を表す字と組み合わされることが多い。「路」や「道」は現代で言うところの「地」であったと考えられ、最初に国として完成することができた尊い土地という意味で「淡路(淡道)」と名づけられたものと思われる。



日本は南方の海から大陸から国内から広がる。日本合衆国ですね。


日本の南方は本当に太平洋に広がっています。



海に関連する言葉は南方系であると。 
エンヤトット (魚をとるぞ) 那覇(魚の照れる場所)イザナギ イザナミ イザは聖なる 
聖なる波と聖なる凪の結婚で島が生まれるというモチーフ。 
そして国生み神話は南方海洋系の民族には多い。 

この南方系に北方系がオーバーラップしているのですね。縄文神が諏訪にはあります。 
そしておそらくは揚子江流域からの漢族。朝鮮半島からの渡来人。これらの外国神話と縄文神話と南方神話が一体化したのだ日本の神話。 

ではなぜ南方系のイザナギイザナミからはじまるのでしょうか? 
始源の神の行為はどの宗教にも重要です。 
島々が生まれていくという一番都合のいい神話をもっていたのが南方系だったからかもしれません。 

とにかく日本列島は狭い島といいますがこの広さが中原にあると中国戦国時代のなかでも巨大な国だし、周辺海域を含めると実は古代からこの列島は、太平洋からも注目を浴びる重要な島。 

南方海洋民族は日本列島をハワイ諸島同様に見ていたのではないか。 
そしてそこにいる縄文人と合体かしていく、 
その上に漢族と韓族、さらには対馬海峡両岸の倭人がくる。 

この複雑に絡み合う勢力と文化が混ざり合う経緯が、はりはりさんのいうように国生み神話なのかと思えます。 

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コメント

天地無我

海とは
島国。
海によって閉ざされていた、と同時に
海によって広く開かれていた国でも有ったのですね。
日本民族の特性はこの様な環境によっても形作られて来たのですね。

murasawatakehiko

歩いてみたんですが
数年前に2回に分けて、天理の石上神社から三輪の大神神社、そして三輪山に登って長谷寺まで、ついでに峠を越えて室生寺まで歩いてみました。もちろん明日香も数回に渡り自転車や徒歩で回ってみました。
でもなんとなく違うって感じるんですね、纒向じゃ。
なんというか、「歩きの時代」には朝鮮半島を近くに感じにくい。北九州に居ればヒシヒシと感じる朝鮮や中国の気配を奈良に居ると感じないんです。500年以降の飛鳥時代以降なら少し別ですが、通信や移動手段が非常に貧弱だった3世紀の纒向では対半島、対中国の国家連合の中心地を奈良盆地に置くのは不適切かと・・・歩いてみると思うんですね。どうみても近畿説は現代思考の賜物だと思っています。

作者

Unknown
纒向にあらず。同感です。
3世紀に交易センターができても、
そこから伊都国に一大卒をおいて武力支配なんて軍事的にも不可能と思います。
交易仲間ならともかく九州北岸の諸国が奈良から派遣された軍団をおそれるのは当時は不可能だと。
そのためには、瀬戸内海の制海権と日本海の制海権を取り、関門海峡と遠賀川流域を制圧していないといけない、奈良からですから。無理です。

この考察はあくまで九州説を浮き立たせるためのシミュレーションです。

それに、お感じになられた雰囲気こそ真実なのだろうと。
ぼくも糸島や飯塚や朝倉に身を置くとき感じるこの対馬海峡の雰囲気なるもの、それは奈良にはありえない。

邪馬台国と無縁の出雲の次世代の交易集会所だったのではと。それは縄文から続く列島内ネットワークだったと。それは別の意味でおくふかそうです。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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