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幻の「呉史倭人伝 1」

 さて魏は大月氏(今のチベット)に西戎の代表格として金印を授与しています。


親魏大月氏王 です。


なぜ親魏倭王なのだろう?


なぜ親魏邪馬台王でなかったのだろう?


邪馬台国がヤマトになるのなら、この女王国連合の総体を


魏が邪馬台国と認識していてもおかしくないのに


あくまで倭王として倭の代表であるというのは?




大月氏への金印授与の目的はこんな遠方の大国まで魏と同盟していることでの権威づけと


蜀への抑止力です。背後に大国大月氏が親魏国としているのです。


中国の三国時代にヴァースデーヴァ1世(波調)がに使節を派遣した際、魏はヴァースデーヴァに対し、「親魏大月氏王」の金印を贈っている。これは倭国の王卑弥呼に対するものと並んで、魏の時代に外国に送られた金印の例であることから比較的よく知られているが、3世紀に入っても中国ではクシャーナ朝が大月氏と呼ばれていたことを示すものである。


蜀への効果ははっきりあったらしい。


なにせ大月氏は大国です。




二匹目のドジョウが倭です。東夷の代表として政治利用した。


そして遥な東夷の倭も大月氏に比する大国であり、金印を授与した。すなわち親魏倭王。


そしてこちらは呉への抑止力にならないといけないから、


その場所は呉の背後となる。


ちょっと地図がおおざっぱすぎですが技術の未熟さを勘弁してください。


チベットではなくクシャン朝らしいからもう少し西です。



さてここからです。蜀における大月氏の役割を果たすには倭は呉の沖合になくてはならない。


そうでなければ、呉に対して地政学的に無力な国に金印を与えたとなると、魏の天子はあほかということになる。


地図を見ると九州から北に列島が伸びてはいけません。南にのびないと呉への抑止力にならないのです。




洛陽の視点。洛陽からみて呉は地図の上です。


洛陽の視点で呉を見たときに、その東方海上に東夷の大国倭が、邪馬台国があればどれほど戦略的に


有利だったか。一目両全ですが、しかし、呉は呉で日本列島はもっと北にあるとしっていたでしょうね。


まあ、これは魏側の記録であり、陳寿の晋は魏を禅譲で後継した国ですから。


もし呉の記録などが見つかれば、とても面白いでしょうね。




国境が北に。実際は



 


孫呉の背後
「当に会稽東冶の東に在るべし」と陳寿が語りが理念を示しており、


推定を述べているのであって「在る」とは言っていない。


こんなあいまいな言語を使っているから近代化に時間がかかるのですね。フランス語や日本語は明瞭に物事を表現できるとフランス人が言ってましたが。


会稽郡は南北に長く、単に会稽群とした場合には郡治である山陰県(紹興市)を差す。


北緯30度、種子島のやや北となるが、


東冶県(福州市)は北緯26度、


沖縄本島辺りとなり陳寿が倭国の位置をかなり南に下げたことが理解されよう。


確かに会稽沖に邪馬台国があるとなると呉は背後に脅威を持つのですね。


そのようであれと言ってるというわけです。


対呉戦。


正面攻撃は互角である。


海の戦は魏は苦手。赤壁の戦いで壊滅している。


すると呉をけん制するには海上に大国がいると思わせたい。


しかし海上のことは呉のほうが詳しい。


でも記録は魏史しか残っていないのですね。


「赤壁の戦い」の画像検索結果「赤壁の戦い」の画像検索結果


呉史倭人伝です。


「魏は倭の邪馬台国に親魏倭王の印綬を授与した。滑稽極まりない。


場所が違う。国力も大げさだ。すべてはわれら呉への当てつけで行った芝居である。


倭ははるか東北に伸びる細長い島であり、邪馬台国に女王がいて争いをやめているが政情は不安定。


しかも狗奴国と一触即発の状態が続き、なんら大陸に影響を与えない。」




魏は実際の倭の場所を書いたのではなく、


呉の沖合に大国として存在するようにかいた。


それで途中まで、おそらくは不弥国までは正確だが、


投馬と邪馬台国ははるか南方になった。


このような地政学的位置にこそ西戎の大月氏に比定する東夷の倭は存在すべきだという主張が


さらりと倭人伝に織り込まれたとする説があります


面白いですね。


 




ぼくは     呉史倭人伝     を読みたいです。

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コメント

不弥人

南の大国
つまり、倭人の大王は南方海中にありと。どのみち倭自体が東方海中ですから、その遥かな国の最大の国はそこからさらに南だと言っても誰も確認できない。周知の奴国まで正確なら良い。日本列島が台湾まで連なってると漢族の中で思わせることが目的なのか。しかしリアルな投馬国は天皇と神話にありありと。誇張だと?架空ではなく。

神墓学者

韓は12万戸
馬韓は12万戸くらいでは?くしくも、邪馬台国と投馬国の合計です。馬韓は脅威でないのか?帯方郡が接していたからグリップが効くのか?呉の影響と言えば呉服屋は呉の服を売ってたのでしょうか?

天地無我

喫茶店から笑点など
「デジタル大辞泉の解説
ご‐ふく【呉服】
1 和服用織物の総称。反物。
2 太物(ふともの)に対して、絹織物の称。
3 古代中国、呉の国から伝わった織り方によって作った綾などの織物。くれはとり。」 とありました。

韓服文化。
もし、日本に入り定着していたら?。
林家 木久扇 の「イヤーン馬韓、そこは……。」が笑えなくなる。

「「混一◎理歴代国都之図」は最古の世界地図(15世紀初頭)なんだそうです」。
九州を南にずらして支点とし、反転させた九州の南に本州がある。
この図にもたれれば。少し小さいが呉の牽制としてはイイ位置。
倭人伝の方角解釈にも影響しそうな、この図。どの様に捉えるべきか?。

太平洋上に散らばる島々を、1つの大陸と捉えられ(カモ)ムー大陸として存在。
琉球諸島を同様に捉えた位置で本州をかぶせた形でもありますが。

神墓学者

Unknown
ムー大陸的発想でいけば鹿児島から石垣島まで、倭人領域ということで、そこは大きな倭人生活圏、倭人の島という解釈をしたかもしれませんね。

少佐

初めて知りました
混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)、略称疆理図(きょうりず)とは1402年に李氏朝鮮で作られた地図。名称は「歴史上の首都一覧図」を意味する。

すぐそばの日本列島に対してこれはもしかして三国志の倭人伝をもとに作成したのではないか?
済州島と九州が同じ大きさで北海道は認識しておらず。
なによりこの彼らの世界には竹島はありませんね。
愚かな。

天地無我

STOP
有難うございます。
この図の出自。そうですか。
たぶん、地理認識は半世紀近く変わっていないのでは。
まあこれを以て、今 何を主張しているのか。…。
STOP ! また、脱線しそう。

天地無我

広がる可能性
>倭人生活圏、倭人の島

作者さんとmiziの仲間の方。
島の数と国の数が同じであることから。その可能性を考えられていた、ように記憶。

作者

今日はぱくりますね
今日のブログはこの朝鮮の地図ネタでいきます。
ありがとうございます
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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