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邪馬台国邪馬台国と仏教

邪馬台国と仏教についてあれこれ想像を巡らそうとしたらこのような本が出版されていました。


秘境 邪馬台国 仏教者が見た神話と古代史


大胆な仮説による歴史ロマン。仏教経典に精通する著者が、仏教語をキーワードに解き明かす。


中身はまったく知りませんが、仏教語をキーワードに  というのが惹かれます。


読んでみたい。


日本語というのは仏教語の漢語と、老荘と四書五経の中の漢語などが概念や公式の官名や人名に根づいています。






司馬遼太郎さんがこの形而上的概念や文明の概念を漢語で表現する例として蒸気機関車を挙げておられました。


すなわち漢語=蒸気機関車


しか和語だけで言えば(モンゴル語だとそのような現象になるそうです)


「熱で気化した気体のちからで、タービンを動かすことで走る鉄の車」


となり、とても不便な思いをすることになります。


文明と形而上的な言葉は漢語を使っていた。(明治以降はそれに洋語が加わります)


日本語はあくまで生活ことばです。今日でも。


葬式 通夜 入学 結婚 出産 就職  などの言葉すべて漢語です。


 


さて邪馬台国公式の官の言語にどれだけ漢語が入っていたか?わかりませんがあの官名の羅列は純粋な日本語ではないと思います。


 


仏教の教義は儒教や老荘とはかなり違います。老荘とにたとこもあるが


大乗仏教の膨大な経典と体系化とインド的な要素は当時の日本においてはキリスト教が入ってきたときを上回る


一大センセーションを巻き起こしたでしょう。


しかし中国の仏教の布教過程で次のようなことが起こっている


仏教(格義仏教)は、道教との確執を強め、やがて両者とも互いに他を真似るところまで極端化していった。道教は仏教に似せて経典を作成し、仏教はますます道教的色彩をとり、孔子と顔淵と老子は菩薩の化身であるとする三聖仮現説を裏付ける偽経まで作り上げた。仏教側におけるこのような行き過ぎは、やがてその反動として、『般若経』の一面に偏することなく仏教の真実義を極めようとする「義解仏教」を生み出していくことになった。


Taoism


仏教的思考をまったく知らない人たちが、大乗仏教をいきなりきいたら、目が覚める思いがしたでしょう。


しかし道教と一体化した仏教は倭にも受容されやすかったのではないか。卑弥呼は道教の導師のような雰囲気がありますよね。



この地図でみると長江の河口あたりで流行っている。


すると倭に海から来たとしてもおかしくない。
あらゆる中国文明が半島や長江や沖縄諸島経由などで


あるいは越に出雲にあるいは日向に薩摩に有明海に


そしてあるいは九州北岸地帯にやってくる。


こういう文化のソフトパワーはたった一人の渡来人や漂着民がきても重大な影響を与えるから


それは決して記録文書にも遺跡にも残らない伝搬ですから


日本古代史にはあまりにも変数が多すぎるのですね。


だからぼくなんかが毎晩好き勝手なことをいってられるわけですが。



卑弥呼もこんな感じで住んでたとか。

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コメント

天地無我

しなやかな原始思想
>道教と一体化した仏教は倭にも受容されやすかったのではないか。

同感です。日本の万物に神、は元々他の思想などに寛容であったと思います。
同質のところが道教の一方の柱と思われる土着の神仙思想にもあり、これと結びついた仏教は全く違和感なく、新しい神が遠方からいらっしゃったと受け入れらた感じがします。

たぶん、日本の、環境変化へのしなやかな対応力、新しい知識や技術の吸収力、これらを組み合わせ、或いは全く新たな発想から、高度なものを生み出す力の原点は日本の原始思想、ここに有るのでは。
しかも、万物に神住まわれているから、関連するモノとの"調和"も採れている"新しいモノ"が生み出せる。

中韓にも当初は同様な思想があったと感じますが、他の思想はやや対立思想として受け取られ、またあのような歴史の推移から、言い詰めれば、中華思想だけ、属国根性だけが残った。

日本は島国、鎖国も長かった。
幾多の思想が熟成しつつ調和し育まれるために必要な、落ち着いた時間があった。
そして、これが根付き日本の特性となった。
多様性を内包した日本は、必要なときに救世主的に天才が現れ、これと、しなやかな国民性とが相まって、今の日本がある。
この様に感じます。少し手前味噌かも知れませんが…。

天地無我

続きです。
鎖国の長い期間、外の空気を知るべく窓を開けていた。にしても、世界の激動期には。信長は戸を少し開け。黒船に際して完全?に開けた。
戸・窓の開け方とタイミングがベスト過ぎる。???。

TPPは、100年後にどの様に評価されるでしょうか?。

少佐

妄想
信長が七十歳まで生きても、あのような思考ができる日本人はいないから鎖国へむかったのではと思う。
しかし鎖国という法令は名前が明治になってつけられたと記憶していますが
1。人の行き来を制限
2。貿易は国の指定都市のみで指定国家のみと行う
3。武器の輸入とキリスト教の布教の禁止
という内容であるから、現代的感覚でこれを見ると決して鎖国ではないですね。
国による完全管理貿易というわけです。国には情報は入るわけです。したがって黒船来航も事前にオランダから聞いてたし、黒船の威力も知っていたわけで混乱になったわけですね。幕府は。
たった四隻の軍艦をみて、その背後の文明と軍事力を類推し、これは大変革だと感じる国はすごい。四十隻ではなく4せきですから。
半島にあのような形で四隻の海軍艦隊が来たら、追い返すでしょう。そして占領されたでしょう。

少佐

鎖国2
日本風のおおらかさで、オランダを窓口にしたというだけで、実際にはドイツ人シーボルトが来たりしているし。窓口が長崎。ヨーロッパの窓口がオランダ。
というだけでその二つの窓口を通じて双方相当交流したでしょう。日本側でいえば知っているのは幕府だけと。なんだか今の官僚みたいな独占ですね。
帰国するオランダ船には日本人名をくずしたようなオランダ人名が記載されているそうです。相当数。実は日本人蘭学者がオランダ本土に行ってたとも。
日本だから建前が通れば、実際はそうでもいいと。管理貿易港出島からのみ、オランダ人のみが出港したと記録されていれば長崎奉行はそれでいいので毎回船の中を調べまわったりはしない。

天地無我

妄想-2-
>人の行き来を制限。
>.帰国するオランダ船には日本人名をくずしたようなオランダ人名。
>日本だから建前が通れば。

密航者。
狸おやじの幕府。忍びの者。
幕府の密命or出来レース。だったかも。

~明治維新。
幕府の行動、今思うだけでも2・3つほど腑に落ちない。聡明且つ水戸にて水戸学の慶喜の京都入りから、それ以降以降の行動。東海道にて艦砲攻撃で官軍を殲滅のチャンス。戦後の慶喜に対する措置の甘さ。

最初から、岩倉具視・松平春嶽などの脚本の明治維新劇の可能性は?。西南の役までを考えると西郷も一枚。
2度の戦争ごっこは全国の武士への納得性で必要。

妄想を通り越し、狂想。

少佐

Unknown
それもありかと。あくまでみかどのために。
慶喜がしとことは版籍奉還のさきがけ。最大の大名徳川が領地を御門に返納したという実績があるからこそ
のちの版籍奉還はできたと思う。
将軍家でさえ返したではないかと。言える。明治改革の伝家の宝刀は「将軍家もそうした」だったのではないかと思う。版籍奉還?こんなことが他のどこの国でできるでしょうか。薩摩については西郷の命を張った無言の説得があったそうで、将軍と薩摩がやればいやだと言える藩はない。

少佐

水戸学
水戸学はいわば、御門原理主義のようなもので、当時徳川将軍よりも水戸藩は御門を大事だと、本来の天子どと認識していたから慶喜は、本家の御門にまったく思考停止した。そこを薩長が利用したというのが実際か。ただ小栗上野介は北海道をフランスに質にいれてフランス陸軍の応援でやるつもりだったと。
そしてしかし勝海舟が反対した。
あの時戦えば楽勝で幕府が勝ったと、勝も敵のお大村益次郎も語っています。
しかし幕府は戦わず、薩長も幕府は戦わないだろうという前提で進軍。
やはり慶喜の性格を見越して、これは薩長と勝海舟が仕組んだ壮大な腹芸か。
退位後の慶喜の最大の功績は死ななかったこと。そして何もしなかったことと言われています。
あの聡明さで35歳で生涯隠居生活。幕府終了を超ソフトランディングで行った功績に
慶喜があの時戦わなかったから明治維新ができ土地う理由で爵位を授与。実はこれはほんとにできレースか。
だとしたら、だとしてなくても、勝敗紙一重の瞬間瞬間を切り抜けて達成した明治維新は日本人の能力のすべてをかけてなしえた実は対欧米戦争の仕組みづくり。白人以外は本気で猿くらいに思ってる文明をもった野蛮人たち。

少佐

Unknown
当時の世界で白人以外で完全独立していたのは日本と清国だけ。清国やインド、アフリカ、東南アジア、オスマントルコなどがどうされてるか、オランダから情報を取って知っていた。どれほどの危機感があったことでしょう。
われわれの感覚でいえば、世界中ソ連の支配下になって、あとはすでにやられてぼろぼろ清国と日本だけ。あえりますよ。当時の欧米は今日のように白人以外の人権や人道など皆無でイギリス人はタスマニア人をハンティングして全員殺したし、アメリカ人はインデアンを一説だと1000万人殺した。と。
そんな連中が高度ば武器を持って世界中を植民地にして清国もやられた。
尖閣の危機感の100倍です。安保条約の相手もいあんくて武器は50年くらい遅れてるし、社会体制もあちらはすぐれているように見える。
どれほどあせりと危機感で幕末ははじまったか、どうも想像力がかけてる。
半島など何も考えてなかったというのは・アヘン戦争のあと何も考えないというのは?

天地無我

妄想-3-など
>白人以外の人権や人道など皆無
>白人以外は文明をもった猿
>世界中を植民地

国際政治の世界で、この実態に触れることは、タブー。
かすめるだけでも、歴史の修正・改竄と
。西欧が、自分たちに都合のよい国際秩序維持のため言うのはわかる。
国際人権派がこれに追従は理解できない。手先なのか。

ロシア最も凶悪、今も変わっていない。
中国は150年前の世界に今、戻って侵略中。韓は2000年間変わらず。

国連も常任うちの変な2か国で麻痺、おまけにパン。腐敗した今、過去のものとすべき。
新しくG7で、難しいことでない様に思うのだが。
ふだんは毅然たる、と見える西欧。
しかし、中国の見せる餌に、よだれタラタラでシッポ振る実態、日本財界も。
難しいか?

狂騒の続きです。
春嶽の下で新しい日本の見取り図を描いたのは横井小楠、工程表は誰が?

トップ3は、春嶽・岩倉・慶喜。ブレーンに横井・海舟・西郷・大久保・他数人。その下に主役に見える薩長藩士など、龍馬も使い走りの一人。

        (歴史の改竄を企む者)

天地無我

妄想-4-
水戸の動きも面白い。
当初は攘夷の旗頭。
これの翻意により、攘夷派すべてが翻意。他藩も官軍に城明け渡しがし易い。
内部で彰義隊などはあったが。

トップ3であったか?。

少佐

Unknown
おまけにパン

昔、国際問題でこじれたときはマスコミにいつも事務総長の名前が出てきて自然に覚えていました。
アナン
ワルトハイム デクエヤルとか。
しょっちゅう何とかしようと動き回っていたがなんともできず常任理事国の拒否権の問題が大きいとか言われてました。
しかしですよ、パンさんなんて何もしていない。恐ろしく何も発信しない。イスラム国もナイジェリアの女子生徒誘拐も人権の観点からも何も言わない。そして日本にきて国連事務総長として従軍慰安婦などといっている。あなた、ユナイテッドネイション、戦勝国連合の事務トップが戦争前のことを?

世界は裏日韓同盟で崩壊の危機。オバマとパン。
なんなんだこの人たち。

安倍さんの日豪海上同盟、日豪共同体構想が光る。
日米豪の三か国で海上防衛すると太平洋の三文の二くらいが排他的経済水域ですから

少佐

間違い
裏米韓同盟。
パンさんは次の大統領最有力候補だそうです。ダントツの。
いやあ、今は我が国は第二次南進策の時代。西の国々とは接せず。オーストラリア、東南アジア。言い方は何ですが、大東亜共栄圏を作るのです。平和のために平和的に。
ベトナム、シンガポール、ビルマ、カンボジア、タイ、マレーシア、インドネシア、インド、オーストラリア。フィリピン、ニュージーランド。
これらの国々は戦後日本の平和努力を正しく評価し、国家としての姿勢も評価している。豪首相は日本は不当に扱われている。正統に評価すべきと発言した。

少佐

何を語っているのか
止まらない。
上記の国々は親日国家です。そして合計の人口は13億人くらいですよ。
これがアジアの国々です。
それらの国々に経済的国防的に良好な関係を築いている。南シナ会の国々は日本の海上保安艦艇やそのノウハウを学びたがっている。
本来韓国海上警察は日常的に中国漁船と戦い、支社まで出しているが海難事故いらい機能不全となり、いまや黄海は中国船が自由自在。組む相手もなにもめちゃくちゃです。
現在の外交は実務的にとても機能している。中共と半島が何を言おうがアジアの国々の評価こそ、客観的等身大の評価です。
そして日本のマスコミも等身大の日本の評価をもっと報じるべきとうかそれはジャーナリストとしての義務だろうと思うのですが・・・・・

天地無我

何を語っているのか、を受けて
対ロ。今が絶好機。米への牽制からも、ややロよりに重心を。(米の対日、無責任の70年が、中韓をつけ上がらせている。今、日本が抱えている領土も含む戦後問題は占領軍たる米の日本の権利保持へ果たすべき責務を怠ったことに起因している。)
対韓。年内に来るのでは。
対中。数年後に。

昨日のニュース(中国発であるが)。
米印日の同盟。
+豪も近いうちに。

ミャンマ-。中国国境辺りの対部族争い。侵略に要注意。

アジア・南米・アフリカ諸国。
中国絡みのインフラ整備。国土を空け渡すことと同義であることに気づけ。

今、かっての会社同僚10名ほどとの…。から帰ってきたところ。(まだミャンマー軍政時代に工場を現地に。)3名のミヤンマー経験者の談。現地人は視力桁外れによい(これはTVなどでも)。夜目もきく、暗くて何も見えない所でも彼らは見えるとライトなしで車を運転、などとのこと。 

邪馬台国。狼煙信号はかなりの威力があったことでしょう。

妄想-4-。落ち着いて考えれば、水戸藩は藩内に手いっぱいで、その余力はなかったと思い返しています。ても、結果的に世に与えた影響は、ガス抜きも含めて大きかったと感じます。

不思議に思うこと

作者
孤立したころ、ミャンマーはどっぷり中国の支援を受けていました。しかし大型案件をキャンセルしてアメリカ企業に乗り換えたのきっかけに門と開放したのですが。その中国への謀反のような掌の返し方を論じている話はあまりない、これはよっぽど中国がひどかったのですね、きっと。開国のリスクのほうが中国の支援よりはるかにましだということですね。

天地無我

昔も今も
中国はまだ国際的脅威は全くなく、欧米も、その国内に於ける暴政を正面から避難していた。
日本は、円高の進行中。バブル崩壊の初期。"リストラ"の定義がまだ"再構築"だった頃。
国外への工場進出は、まだチラホラ。
その事業部門(製品別)は他業界から同一機能を持つ製品に追い上げられ喘いでいた。そこへ円高による低価格輸入品。ミャンマーには原価の40%を占める原材料があった。(3級品だったが)
この様な中で生き残りを目指し軍政の国への工場を。であった。

卑弥呼の時代。鉄器が席巻する前夜。
石器関連の"事業者"はいかに対応したのであろうか?。
たぶん、社会全体がこの変革に順応し、技術も一体になり、ひとつ高次元の社会に変貌したと思う。
"邪馬台国"は変革の時代の1ページ。

作者

Unknown
黒曜石は諏訪と出雲と国東の姫島と有明海。
結局、中心地が変革をして青銅器時代に。
そして鉄へ。諏訪はさすがに縄文的立地すぎて弥生には適応せず。あそこで稲作はないですよね。だから諏訪の人々はあちこち降りて行ったはずだと思う。で、国譲りは出雲から権限を奪うと同時に、諏訪にはもあちこち行くなと釘をさした。
遠賀川上流も石器の採石場がありました。
いやあ日本史は奥が深い。

天地無我

諏訪文化のDNA
>だから諏訪の人々はあちこち降りて行ったはず

諏訪は日本のへその位置。
北へ。西ルート、信濃川から日本海沿岸を。
    東ルート、和田峠越え。佐久、北関東、から北上。
東へ。フォッサマグナを。南関東、静岡へ。
南へ。伊那谷を下り。一方は浜松へ、もう一方は、神坂峠越えから美濃、濃尾へ。

軋轢、衝突しながらも、空白地域を諏訪文明は昇華しながら拡散していった。
と言うことでしょうか。

甲斐と信濃は、とりわけ結びつきが強く、両地域はDNAとも言うべき絆が今も生きているのでしょうか?。(以前作者さんが言っていたことに関して)

作者作者

Unknown
甲斐と信濃についてはわかりません。武田信玄と上杉謙信の二人とも50くらいで死にましたがどちらか片方が60まで生きていたら織田信長はやばかったでしょうか?

諏訪は全国の情報をもち、経済的に豊であり、最先端武器の黒曜石をいくらでも持つから軍事大国でもあったはず。
銅器の衝撃があったはずですが、諏訪からは見つかってないのでは?
あるいは諏訪が出雲に移住したという仮説を超えた想像をします。日本海の諏訪の窓口姫川河口の越の国からどこでもいけるので。
当時は諏訪は甲斐方向ようちはるかに安曇野、越方向にシフトしていたのではないか。日本海から半島大陸の情報が来るゆえに。

天地無我

ダテではなくなる伊達
>武田信玄と上杉謙信の二人とも50くらいで死にましたがどちらか片方が60まで生きていたら織田信長はやばかったでしょうか?

二人存命ならば、両すくみ。大きく動けない。同盟は難しい、思想が正反対

どちらか一人存命。
謙信は守旧派。動かない。
信玄。背後への備えに?。信長の家康、。強力な同盟者を作れたとして、更に西国同盟、平時の毛利は乗ってこない。
チャンスは信長の毛利攻め時のみ。この時、遠征できる環境を作り得たか?。

織田信長はやばくなかった。が東への進出はどこまで為し得たか?
西は1線進行。東へは3線進行。

伊達の中央への影響力は?。間に合ったか?。

作者

Unknown
謙信は京へ行く寸前で脳溢血死、信玄も京への途上で死。
そのタイミングであと2年生きていたら信長は終わりではないか?
なので暗殺説までありますが。
信長が京から号令をかけるのは謙信は許すが御門を無視した安土から号令をかけたら、侵攻です。

やはり立地が大事。
信長は饒速日の逆コースです。すなわち若狭湾から大和、尾張へむかったホアカリノミコトに比して、信長は尾張から、若狭湾、京、大阪へ向かった。このラインがいつも日本政治を動かす。
謙信は越だし、信玄は諏訪と甲斐です。
毛利は出雲の尼子を包含し・・・・筑紫が役者不足ですね。しかし日向には薩摩が。

天地無我

ミミナリ
謙信・信玄とも、ここまでは線の進攻。この後は、面の進行が必要となる。線の進攻で上洛は可能と思うが伸びきった戦線を維持できない。一端、苦戦に至ればお国元にも火がつく。京をとるか国元をとるかの局面も覚悟が必要になったと思う。

ミミナリ。
今日の夕飯時。"のど自慢"のTVを背に。アナウンサー曲は「"ミミナリ"の歌」と。 ン?… ナニ?。
「海鳴りの…」だった。
この様な、聞き違いが文字に、逆に文字の読み方の異なりがそのままに。それがまた異なる漢字で。……。
かなり有る様な気がします。

作者

Unknown
面白いですね。
しょせんは外国人が聞いて表意文字として漢字を使って記録したわけで。
しかしそれなりにイメージを合わせて漢字を選ぶ。
確か雷○とレーガン大統領を。
でもあれだけ大量の事象をいちいち?投馬は馬にロープを投げるのか?今なら阿蘇や宮崎のイメージですね。邪馬は馬が邪魔な山岳地帯。矢部か?
伊都はいの都。いって?
末盧は松浦ならまつらとまつろがごっちゃならなんでもありですね。
ふみは宇美とか。ふとう。らとろ。
やまたいはひめ国の聞き間違いとか。

いやあ、適当に想像してしまいました

天地無我

弘法は筆を選ばず、魏は感じで漢字を選ぶ、
そうですね。
イメージ、位置(格)付けから、宛てる漢字を選んでいますね。

天地無我

巨人の星
どこかで読んだ気がします。

今の中国。外来語に宛てる漢字に苦労しているとか。やはり、外来語の意味と宛てる漢字イメージの一体感で。

ハングルで書いたとき、何を言わんとしているか全く解らないことが有るとか。

日本語は繊細ですね。

投馬国。星飛雄馬投手?。
邪馬。シャーマン=卑弥呼?。
末盧。枕。いつも寝ている国?。
伊都。都井・伊佐・宇佐・宇土・土佐?。

少し疲れた…。

天地無我

訂正
末盧。真っ暗。誰かが岩穴に隠れた国。

作者

馬韓54国
こんなにあって不弥国まであります。末盧っぽいのもたくさん。これに辰韓、弁韓が入ると、なんだかみんな一体化してるような

感奚国
監奚卑離国
乾馬国
古臘国
古離国
古卑離国
古爰国
古誕者国
古蒲国
狗盧国
臼斯烏旦国
狗素国
狗奚国
內卑離国
怒藍国
大石索国
莫盧国
萬盧国
牟盧卑離国
牟水国
目支国
伯濟国
辟卑離国
不彌国
不斯濆邪国
不雲国
卑離国
卑彌国
駟盧国
桑外国
小石索国
素謂乾国
速盧不斯国
臣濆活国
臣蘇塗国
臣雲新国
臣国
兒林国
如來卑離国
冉路国
優休牟涿国
爰襄国
爰池国
一難国
一離国
日華国
臨素半国
咨離牟盧国
支半国
支侵国
捷盧国
楚離国
楚山塗卑離国
致利鞠国

作者

これだけの国から
狗邪韓国までのあいだ、これらの中から海岸沿いの国をとっても、どこそこ国を通るとは言わなかったわけで、やはり九州上陸後に、そこから不弥までは重要ですね。すると不弥からはまた半島を南に東にという感じで、単に南にと書いた。
すると近畿説っぽくなりますね。
しかし狗=邪とは狗奴国と邪馬台国が一緒に作った韓の地であり、その後大乱になり卑弥呼共立への反対国として狗奴国は大乱を続けたとか。
豊臣が西日本を統一したあと、徳川がでーんと東国にあったようなイメージかも。

天地無我

馬・馬です
どこから、探し出されるのか。すごいですね。MISIで通読はさせて頂いていましたが。これだけ一致、類似、引用出来る字の国名があると、無視はないですね。
読み方が解らないのですが、「乾馬国」は「投馬国」に類似しているのでしょうか?

"馬"について少し論評が有り、興味を持ちました。
もし、この時代牛馬が有る程度、農・兵・運などで活用されていたならば…?。"痕跡がない≠存在しない"、ので。

作者

ネット検索してコピペ
しているだけなので、おはずかしい。これは馬韓とウィキペディアで検索すると出ますよ。あと辰韓と弁韓の12国づつもありまして、三韓で78国もあります。三韓は今の韓国くらいの領域ですから、倭には100国くらいあってもおかしくないですね。
する傍国30くらいでは列島全部ではなくやはり九州と周防くらいまでの話かもです。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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プロフィール

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Author:古荘英雄
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