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博多湾は神々の島々


志賀島。向こうは能古の島。正面は博多湾。はるかに大宰府のくびれ。


能古の島の右は糸島半島の東端。画面右端の平野が伊都国。


伊都国と福岡平野を分ける緑の山は筑紫の日向峠。


そして背後の大きな山は背振。


背振の向こうにはこの画面の福岡平野の4倍はある筑紫平野佐賀平野の連なり。


ほんとに背振の山上に国があれば周辺のすべてを支配できますね。


伊都国の東端と能古の島と志賀島で博多湾を完全にガードできます。


今日ではこの三角形の福岡平野に150万人も住んでいる。嘘みたい。その向こうの筑紫佐賀平野合計で60万人くらいだろうか。

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コメント

天地無我

ナコク イトコク
「…金印は単に土に埋もれていたのではなく、巨石の下に隠されていた。…なお、糸島市の細石神社には、「漢委奴國王」の金印が宝物として伝わっていたが江戸時代に外部に流出したとの伝承(口伝)がある。」

金印。
委奴(イト)国? 奴国? 委ノ国? 。伊都国。
志賀島。糸島。能古の島

志賀島。金印の本来の保管地とは思えない。

遠賀川流域も含めたこの地域、
勢力圏の栄枯盛衰もあり、地名からの比定も多々。
多様なロマンが描けそうです。

少佐

志賀島港
写真の湾側の志賀島の海岸線は凪いでいます。そして左側の外海は荒い玄界灘。この島は小さいが、半分が博多湾の内海に向かいあい、半分が外海に向き合う稀有な立地です。
そして水深は深く、古代、芦の密生する遠浅の海岸線で大型船がセガンできなかったといわれる博多湾岸において、最適な大型船の港です。
日本海へ出雲、越へも行けるし、もちろん半島へも。香椎からすぐそばであり、香椎の宮から志賀島へ小舟で来て、ここから大型船で。
何よりのちの世に、白村江の戦いの出撃の港にもなったのであり、ここは古代世界の海の交通、物流の中心地。全国のワタツミ神社の総本山にして、君が代の一部が祝詞であり、神功皇后の三韓征伐の出発地でもあるとされる。

これだけの立地と歴史的役割で行けば漢委奴国王の半島への出発の港であっても不思議ではない。

また海人族の本拠地、安積族の本拠地でもある。(安積氏が白村江の戦いで軍団を半島に導いたらしい)

考えようによっては対馬海峡国家の最南端の島。対馬の植民島だったかもしれない。

もう一人のテラさん

初めまして
私が古代史にふれるキッカケは、母のひと言でした。

「日本(倭国)は白村江でボロ負けした」母はそういい

ました。

それでも私が白村江の戦いを調べ始めたのは、大人

になってからです。

全くのオクテですね。

福岡県にいらっしゃるとはうらやましい。

ブログを拝読して思ったのですが、ある意味であなた


も私などと同類かもしれませんね。

ブログ名は「もう一人のテラさん」です。タマに寄って見

てください。

作者

テラさん 天地さん
ありがとうございます。ブログ拝見しました。面白いですね。毎日読んでくれている天地無我さんにもお伝えしたいのでここにリンクを張らせていただきます。
あと何人か準レギュラー的なコメントの人たちにも。
http://ameblo.jp/teras0118/entry-11988894784.html" rel="nofollow" target=_blank>http://ameblo.jp/teras0118/entry-11988894784.html

作者

テラさん そういえば
昔 テラへ というコミックがありました。
ふと思い出しました。とても面白かった。

天地さん 不弥人さん テラさん

テラさんのブログ
『旧唐書』の東夷伝の中には倭国伝と日本国伝が併記されている。唐の時代(618~907年)の初めのころに、この日本列島には、中国と交流している主な国が2国あった。これはそういうことだ! これが、テラさんの古代史への第一歩となった。

先日倭国と日本国と併記されていることがとても面白く感じたところでした。ブログでも随想しましたが、中国の勘違いでなければとてつもない事実ですよね。

天地無我

テラさん そういえば-2-
昔 テラへ というコミック。とても面白かった。
不思議な空間のマンガ。
読み返してみたくなった。

天地無我

静と動
テラさんのブログ 。
静かで、落ち着いている。それでいて力強さと安心感も感じます。順次拝読させていただきます。面白そう。

作者

Unknown
邪馬台国の輪ですねや2226

天地無我

手塚治虫
マンカ。

火の鳥。
最初からの4編は特に面白い。
ものの考え方など影響を受けている気がする。かなり。

猿田彦が登場するヤマト編は、私の古代史観?を支配しているかも。
先入観、固定観念の恐ろしさはテラさんが強く言っていることですが。

作者

Unknown
火の鳥全部読みました。ハクスキノエノ戦いから始まるのもありましたね

天地無我

古代史疑
作家の調査力。だけでは無いと思いますが、すごいですね。

自分では確認していないですが。
松本清張が私の住む町て
゛「桂小五郎が1週間程度身を寄せていた。」と何かに書いていた、そうです。
その家の人も、役場の人も初耳。調べたら、やはり泊っていたことが初めて分かった。
ちなみに私の住む町は歴史に関係しない、本当の片田舎です。

職業とは言えすごいと思います。
少佐さんも、MIXIの皆さんも。
テラさんも、懐が深そう。
すごい人がいっばい。

少佐

Unknown
ぼくの文芸同人誌の同人の黒田藩元家老の一族という人がいまして。
孫文が日本にいたとき隠れ家にしていたそうです。驚きました。

天地無我

骨になっても鯛は鯛
藩。その重臣は明治大正になっても、国家としての役割、人脈は有った様ですね。
高遠藩家老の子女。大正天皇の行儀見習い?として奉公。目を離すとすぐにどこかへ、。大変だったそうです。(子女の子供にあたる人から聞いた話です。)

少佐

Unknown
もう20年ほど前ですがテレビで旧伊達家の初もうでをやってました。かつての家臣団(宮城県の重職や経済界に行ってる)が集まり、伊達家の当主が最後に言葉を発してみなかしこまる。(そのまま新年初賀ですね)杵築藩の当主が東京から杵築に変えると県知事か副知事が料亭で食事する。細川もりひろさんの例もあります。
また安田財閥の当主に継承者が大学のゼミの後輩にいましたがきっちり帝王学を学び、しっかりとした礼儀正しい人間でした。
このように、日本社会は実はかつての階級的なものが地下に根をはり、いわば国体の空気のようなものを形成しているのかもしれません。これも近隣にないソフトパワーでしょうか。
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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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