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再び狗奴国 軍事的脅威という視点

九州の中に狗奴国があったらこんな感じでしょうか?



さてこの規模の国が邪馬台国と投馬国連合に、


軍事的脅威を与えて交戦して、


邪馬台国が魏に軍事支援を求めに帯方郡まで行くということが、


あるのでしょうか?


卑弥呼の対魏の外交目的は狗奴国との戦争への支援です。


トヨの西晋への外交への目的も同様でしょう。


常に狗奴国の脅威に対していざとなれば支援が来るという約束を取り付けたかった。


狗奴国だけが鉄器を使っていたならともかく、


このころ鉄器は辰韓の山に取りにいっていたとか、出雲の山中にあったとか言う話です。


また最古の鉄炉は大宰府あたりです。


狗奴国が軍事的にこの先端地域を上回ることはないと言っていいのではないか。


軍事的脅威を持てる要因はたとえば。


武器の優位(ヒッタイトの鉄)、


移動手段の優位(モンゴルの馬)、


人の多さ(ペルシャ)。


水軍の優位さ(アテネ、イギリス、ベネチア)


スパルタ教育


(スパルタ)、


経済的豊かさからの傭兵(オーストリア帝国、イタリア諸都市)


こういったようなものですが、この地図の狗奴国にはそすべてがないといえるでしょう。


軍事的には九州内部にはなさそうです。


そこでこんな考え方。



これくらいの勢力でないと先端文明を持ち、半島の鉄を入手でき対馬海峡で鍛えられて強力な水軍を持つ邪馬台国軍に対抗できない。


九州の山奥の部族が軍事的脅威を与える要素は何もないように思うのです。


球磨郡あたりに熊襲がいても、邪馬台国に対して何が軍事的優位でしょうか。


人口、武器、水軍、馬、などなにをとっても何もないように思うのですが。




したがって


つまりこれは地政学的な九州の位置とりの争いであると。


半島とその沖合の島としての九州島。これが邪馬台国。


もう一つは日本列島の西南の連なりの島としての九州島。


九州はもともと半島の沖の島であり、その世界は半島と一つだった。文化も交易も。


しかし当然四国や周防や出雲や河内とも交易があり、しかしながら文化としては先端の半島によっていた。


やがて列島勢力対半島勢力の争いとなる。


これは地政学的に争いにならざるを得ない。


半島にも勢力を邪馬台国は(狗邪韓国を倭地と東夷伝の韓伝には明確に記載されている)


当然半島の勢力とりわけ帯方郡に支援を依頼する。


やってくる列島の勢力は面積も広く人口も多い。しかし、半島の軍隊は対馬海峡をこえるだけで九州北岸に到着する。


その軍事ルートの視察が邪馬台国への使節の役割であるし、その支援条約の証拠が親魏倭王です。


したがって親魏倭王の印を押した文書を狗奴国側に邪馬台国が送れば、狗奴国側は魏が来るかもしれないから攻撃は控えようとなる。


二つの勢力の想定軍事ルートです。



帯方郡から九州北岸までは河内から来るのとそれほど変わりません。


実際には来なかったのですが、しかし親魏倭王付き文書は。いざとなればくるということを告げるわけです。


強力な抑止力です。


そして強力な狗奴国が倭王でなく、邪馬台国が倭王になれるのは、理由は一つです。


対馬海峡の国が倭なのです。だから倭の国王が倭王なのです。


日本列島の代表ではない。対馬海峡の王のことなのです。

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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
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