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対馬の海岸線と 邪馬台国

対馬の視点で風景を見ると、対馬は自分たちの海岸線からあたりまえだけど平行に向こうをみます。


だから地図上では対馬は真横になっている。


こういうの意外と大事だと思います。



対馬から陸を見ると平行に行くと半島は任那の部分。


列島は関門海峡のあたりになります。しかもこのラインはちょうど黒潮が流れる方向です。


だから対馬から一番行きやすいところは関門海峡だったのです。遠賀川の。


北が上の地図だとこうなります。



任那→対馬→関門海峡というラインが実はある。対馬からの目線で対馬の海岸線にたって眺めるとだとこうなるのです。



さらにこれは対馬と帯方郡の距離です。狗邪韓国を離れると最初に来るのが対馬。対馬も帯方郡を意識していた。


そしてその距離はこんなもの。


面白いのは出雲までの距離と帯方郡までの距離が同じで


その同じ距離で出雲から越と出雲から伊勢が並ぶのです。


そして対馬の海岸線を東西の広がりと考えるとその列島側が南で


半島側が北になります。



そうすると、末盧国について伊都国に糸島方面に向かうとそれは東南の方向です。


そしてそのまま奴国=博多湾に東南100里。


そして東に行くと宗像のあたりが不弥国。


なんと距離も方角もそこにある国もみなそれらしい。


すべては対馬の海岸線を基準にはかられた。


そして不弥国から南方面に海を行くと



そこから陸路南に行くと直方平野をさかのぼり日田へ。でもここまで二日で行きます。


そして日田から高千穂へ。この間は3日ですね。古代だろうと歩きやすい山道です。


そして高千穂から海岸線まで二日あれば十分。1週間でこのくらい行くのです。どう考えても1っか月sるく場所なんてない。


そしてツマ神社投馬国ならば、そこまで宗像から船で20日くらいでしょうか。これはありそうな。


では邪馬台国とはどこになるのか。邪馬台国も日向海岸になってしまう。


そこから九州全域を治める?


だから北方に伊都国という要が必要だった。


 


まあしかし対馬の海岸線を東西に勘案して、でも住民感情は故郷の海岸線からどこに行くかで方角を図っていたかもしれない。

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古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
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