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  • 邪馬台国九州説と邪馬台国近畿説は基本拮抗していると言われますが近畿の場合は奈良なんですが九州説と一口にいっても宇佐、京都郡 筑豊 熊本 長崎 宮崎 鹿児島 博多湾 などなど要は九州全県がそれぞれ候補地になっています邪馬台国九州説の立場をとるとまず宮崎県に投馬国の官名耳のつく地名が目につくわけです そうするとフミ国と言われる糟屋郡宇美町とは大宰府の隣ですから、ここら筑後川を下り、そのまま有明海を... 続きを読む
  • 古代における倭と半島と大陸において関係する地名といえば倭と帯方郡とそれから洛陽です。地図でみるとざっとこんな感じ。そして三国志の大陸の活動範囲ですね。こうやってみると帯方郡と倭っていうのは近い。魏からみると 洛陽から帯方郡へ行くというのはとてつもなく遠い。そして敵対する呉の国。揚子江の健業から有明海までもこのスケールでみると洛陽から帯方郡くらいの距離である。呉から洛陽だってものすごく遠いのに戦争し... 続きを読む
  • このブログは可能性を想像して楽しむものです。さすがに宇宙人が天孫降臨したとかは行き過ぎですがまあ、人間の考えることが古代にあったかもしれないというのを楽しむのは喜びです。中には目くじらをたてて反論したくなる人もいるようですがそんな人は人のブログのコメント欄で寄生虫のように何か書くのではなくてぜひ自分でブログなりFacebookを書いてほしいものです。人のブログのコメント欄はその人個人の場所を借りるというこ... 続きを読む
  • 四国高速道路を発見しました一つの考え方であり楽しむための考え方です大分あたりから。河内平野まで、両岸でわずかな海峡を越えると、四国北岸は、平野のほぼまっすぐな道です。これならば船で、瀬戸内海を行くだけでなく、陸路、河内平野と九州北部が結ばれていたということです。山陽道はくねくねしてるし山越えもあるし、逆に四国北岸はまっすぐな平野です。歩くなら山陽道ではなく四国です。そして、よし、船でいくぞというこ... 続きを読む
  • ある自然科学者が、邪馬台国探求の人文学者の方法論を自然科学の方法論に比べて違和感を感じるという文章を記されてました。 要は学問の方法論として拙いぞ!!という意味で言ってましたね。「確証されていないにもかかわらず、ある程度の遺跡と、大勢の人の推論と権威によって、一部分、もう決着しているような形になっている」というような主旨でした。 彼はまつろ国と伊都国がそれぞれ唐津、糸島であると、あたかも決... 続きを読む
  • 紀元前496年に呉の攻撃を受け越が滅びます。あの呉越同舟の逸話の越ですね。この二つの国は仲が悪かった。ちなみに春秋戦国のこの時代秦の統一はBC221年で滅亡はBC206年ですからあっというまになくなった。あの徐福はこのBC221年から206年の間に東方の海上の蓬莱山に不老不死の薬をとりに旅立ったとされていてそれが日本列島であるとされていますね。誰がいつしたのかは不明ですが。 こんな船に乗って旅立った。... 続きを読む
  • 白村江の戦い 古代における世界大戦 に関係する年表661年 斉明天皇が九州へ船で出発     7月、斉明天皇が九州の朝倉宮で崩御     9月、天智天皇は百済王子を百済に送り出す。    10月、斉明天皇の亡骸とともに天智天皇ら大和に戻る。662  百済救済のため、武器を整え船を準備し、兵糧を蓄えた。そして               663年 8月、唐、新羅連合軍に朝鮮白村江で倭の水軍が敗戦。出... 続きを読む
  • 白村江の戦いに派遣された倭国軍は驚くべき数でした。ウィキペディアより第一派:1万余人。船舶170余隻。指揮官は安曇比羅夫、狭井檳榔、朴市秦造田来津。第二派:2万7千人。軍主力。指揮官は上毛野君稚子、巨勢神前臣譯語、阿倍比羅夫(阿倍引田比羅夫)。待機のままで終わった三派。第三派:1万余人。指揮官は廬原君臣(いおはらのきみおみ)(廬原国造の子孫。現静岡県清水市を本拠とした当時人口が500万人ほどと推定されて... 続きを読む
  • 渡来人(とらいじん)とは、広義には、海外から日本に渡って来た人々を意味するが、歴史用語としては、4世紀から7世紀頃に、中国大陸及び朝鮮半島から日本に移住した人々を指すことが多い。といいますがここでは広義の意味で考えます。 渡来は一時期に集中して起こった訳ではなく、幾つかの移入の波があったと考えられている。また、そのルーツに関しても、黄河流域 - 山東半島、揚子江流域、満洲 - 朝鮮半島など様々言われて... 続きを読む
  • 以下は思い付きです。今日は息抜き。 帯方郡はかつて倭人の国30か国とやりとりして、邪馬台国の卑弥呼ともやりとして洛陽との仲立ちをして、倭の情報をたくさんもっていました。 帯方郡こそ天孫族の元である    これです帯方郡は倭国を、乗っ取った。帯方郡は出雲に行ってクニ譲りを迫った。帯方郡は北部九州に天孫降臨して、新世界「倭地」で米作を始めた。 帯方郡の滅亡(以下Wikipediaより)泰始元年(265年... 続きを読む

古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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