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  • 文字に落として本にするのが一番だという 考えが自然にあります。しかし本というものは必ず燃えてなくなります。 古事記ができたころ古事記にしたから保存は安心でしょうか。古事記を置いてる建物が燃えたら終わりです。コピー器はない。ところが稗田阿礼は足があり火事から逃げることができる。 アレキサンドリア図書館も燃えた。ナチスも燃やした。焚書坑儒もあった。蘇我の館とともに多くの書物が焼けたという。&nbs... 続きを読む
  • 今日は③の海域の話です。江南にあった中国古代の国はまさに越です。この越が呉に滅ぼされたときに、③②①を通って日本列島の越に来て作った国がまさに越だという説があります。江南地方の農村風景や稲作と日本はそっくりだということ、江南地方のひー、ふー、みーという数え方はいまでもいち、にー、さん、と併存して日本に残っています。似てるのは揚子江の米作文明、朝鮮とも華北、中原ともにていない。しかもそのもとは秦帝国から... 続きを読む
  • 邪馬台国自身が記した文字記録ところどころ随分今では意見が変わったりしてるし生意気っぽい書き方でどうかとも思いますが久しぶりに最初の頃の自分の考え方を読んでそれなりに面白かったので。前から不思議に思っていたが、邪馬台国を含めて3世紀の倭国は文字を使って記録をとっていないのか?親魏倭王の文書や金印をもらって読めていたわけだ。帯方郡とのやりとりもまさか使者の口頭のみ、なんてありえないだろう。まさか読めな... 続きを読む
  • 帯方郡から邪馬台国までは12000里という。倭人伝の縮尺では一里は約50Mであると思う。そうすると、このようになる。このライン上で伊都国の糸島により、背振を迂回した大宰府あたりに行き、そこから筑後川を下ればそのまま有明海であり、その南、八代あたりがちょうど12000里のところになります。ということはこの縮尺と距離でだけ考えるとここが女王居住地ということになりますが・・・・・これもひとつの考えかたか... 続きを読む
  • 邪馬台とヤマトの問題の類似ですが・・・・ 福岡に上山門、下山門がありますが、北九州市の門司にも山門という地名があり、筑紫平野にも山門郡があります。これは九州でもそれぞれ離れています。最近の命名でいけば熊本県には山都という市があり、大分県の日田近くには山国町があります。 64件  丘 岡 547件  峰現在これほどの数があります。山となると多すぎて集計がなかなかみつかりません。この地形の島々... 続きを読む
  • 素人考えです。まずは狗奴国は総勢力15万戸近くの邪馬台国と長期間にわたって争った大国である。そのために邪馬台国が親魏倭王の称号をほっしたほどの相手である。同規模の国だと考えるべきであろう。同規模の平野に存立したと考えるべきだろう。 邪馬台国はいつも狗奴国と争っていた。ここでも軍事的観点と地政学的観点で見ていきたい。今はくなこくは、大和朝廷のことだと思っています。奈良からの軍勢に対抗する軍勢を帯方... 続きを読む
  • 神功皇后の遠征時に、タブラ津姫などの筑紫勢力はみずからの根拠地で戦っている。しかし考えてみて欲しい。白村江の戦いのあとヤマト朝廷は太宰府を列島防衛の基地にして周囲に大野城、水城を築いた。つまり博多湾方面の敵に対しては、太宰府という狭隘の地は防衛ラインとして最適なのである。上の地図、博多湾からインド大陸のように逆三角形になっていて頂点に太宰府があります。その括れを超えると広大な筑紫平野佐賀平野が広が... 続きを読む
  • 日本海沿岸は航海するものにとっては、沿岸沿いに進むとき、前方に常に陸が見える信じられない恵まれた航路です。この沿岸を船を漕いで移動するという視点でみると明瞭です。その範囲は九州北岸、五島から始まり北は列島の尽きるとことらまで。厳冬期は別にして、この沿岸は線として完全に確立した交易圏だったと思います。そしてさらに地域地域でよりまとまった交易圏がありその交易圏同志がまた日本海でつながるという自然な図式... 続きを読む
  • 黄河とは?黄河沿いに洛陽はあります。倭から全部船で確実に行けるのです。そう行こうと思えば全部船で行けるのです。黄河沿いの洛陽まで。内陸の都市だが黄河文明ですからね。なんてったって。静かな広い黄河。こんな川ならのんびりとすすめますが これは放流だそうですが荒い川ではあります。それにしてもすごい。全体像としてはこんな感じで、黄河です。黄河をどうやって移動したか、歩いたか馬か、船だったか。船が倭人的... 続きを読む
  • 帯方郡は年にどれくらいの頻度で報告書を洛陽に送っていたのでしょうか?洛陽をはじめいわゆる中原の地の人々は、楽浪郡や帯方郡は世界の果てであったでしょう。東夷伝の東の果ては、あの記述の流れで行くと韓伝で終わりでいいような気がします。そしてその韓に位置する帯方郡が韓の海の向こうの国すなわち倭を知った。もちろん57年には漢が金印を渡した国ではありますが。こんな苦労して洛陽に行ったのは、狗奴国との戦争に支援... 続きを読む

古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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