FC2ブログ
  • この目立たない島々の連なりは実はとても広い。そして対馬と九州と三角形を描きますが、済州島と対馬とも三角形を描きます。この辺の海のなんだか中心に見えますね。この辺というのは半島南岸と済州島、対馬から九州北岸、そして有明海からなる海の世界です。有明海文化圏を考えると、五島列島というのはとても重要な、また絶好の場所にありますね。軍事的にはこの島々を抑えると、有明海と対馬海峡、有明海と済州島から半島西岸の... 続きを読む
  • 竹ノ内の宿祢の武雄です。あの山奥の温泉街がなぜ古代において重要な位置を占めるか?それはこのGoogleEarthで一目瞭然です。壱岐から内陸奥深く、海岸線が切れ込んでいきます。伊万里はかつて半島への出発点の一つであったでしょう。港として抜群ですから。 さて伊万里湾に上陸したら、一日山越えをしたら平地があります。そこが武雄です。武雄はだから山奥にあるのではなく、壱岐から船で上陸したら、山越えして最初にたど... 続きを読む
  • 若狭湾から能登半島の先端までは、出雲から若狭までの距離。九州の東岸の海岸線。河内から岡山平野まで。 要は北が上の地図では余分な出っ張りに見えるところがそこだけでかなり長い海岸線を持っているということです。そしてそこは平野であり、若狭湾とつながっており、交通の要衝にして米作生産地でもある。しかも能登半島の途中から平野が向こう側の七尾までつながっていて、七尾のところには島があり、豊かな港をつくり、... 続きを読む
  • 4大河文明というのは大きな川沿いで農耕をした文明ですね。でも別の見方をすればそこは平野であり、乾燥した大陸では平野はどこにでもあったが川が少なかった。だから河のそばというファクターが目立った。 日本列島というのはどこでも水に困りません。しかし平野がない。逆なのです。だから平野文明ということになっていく。米作ができて、多くの人口を養える平野はどこか?日本の平野は必ず海沿いで川がありますから(なん... 続きを読む
  • 志賀島が末盧国である 志賀島についてはウィキペディアにこう記されている。「古代日本(九州)の大陸・半島への海上交易の出発点として、歴史的に重要な位置を占めていた。また島内にある志賀海神社は綿津見三神を祀り、全国の綿津見神社の総本宮であり、4月と11月の例祭において「君が代」の神楽が奉納される全国的にも珍しい神社である。」 こう書かれているのに邪馬台国の時代には海上交通の要ではないというのは変... 続きを読む
  • もう一度考えたくてアップしましたおおざっぱですが日本中に古墳はあります。しかし前方後円墳の発祥の地は纒向です。古墳はこれに加えて壱岐や対馬や半島南部にもあります。また沖ノ島沖ノ島は島そのものが古墳です。海の正倉院と言われています。前方後円墳は3世紀半ば過ぎから作られ始めたといいます。3世紀半ばといえば卑弥呼がなくなりトヨが晋に朝貢したのが266年だからちょうどその頃です。これまでは北部九州の平野、福岡... 続きを読む
  • 海洋民族 倭人は博多湾から半島に向かうときは博多湾から出発するが有明海から半島に向かうときは、有明海から直接出発するこれが邪馬台国問題解決のキーワードです ぼくはこのブログで常に倭人伝の中に自分をおいて、こたの旅はどういう行程をたどるかを考えました。そして海辺の町で育ち、物心つけば毎日船にのってあちこち行ってた経験に照らして、古代の海人である倭人の海上交通に思いをはせました。すると見えてきたも... 続きを読む
  • 前政権が作ったインフラは、次の政権になっても残りそれは利用する 例を挙げてみよう1。鎌倉幕府が作った鎌倉を中心とした関東経済圏は室町時代にも関東公方や関東管領がしっかりおさめました。2。平安朝が作った京のパワー。これは強力すぎて鎌倉幕府から江戸幕府にいたるまで、残り続けました。3。織田家のパワーのおかげで江戸時代の全国の大名の相当数が名古屋出身でした。信長がいたからこそ、次に秀吉、家康と名古屋パ... 続きを読む
  • 若狭湾は天然の良港である。朝鮮半島南端や九州の北岸、出雲などにひけをとりません。周辺の地理的条件もばっちりです。天降る場所としてもOKです。考えてみれば天降るところというのは良い港があって、上陸地点に平野があるということですね。九州北岸や出雲に続き、ここもそうです。高天原が対馬だからそれは日本海沿岸になりますね。 天橋立から舞鶴、小浜湾、三方五胡、敦賀に連なっていきます。海からみると願ってもない... 続きを読む
  • 日本人は貴族に弱い。そんなことはないという人もたくさんもちろんいますが。 たとえば大名家のありかたも見る。仙台では伊達家の家臣団が毎年正月に一斉に初もうでにでかけ、当主の人が、言葉を述べる。人々は神妙に聞き入る。まさに天皇と国民の関係そのものです。杵築藩という小さな藩でも、現在でも旧当主が東京から杵築に帰ると市長とかつての家老の子孫が三人で食事する。細川首相の時もそうです。もし、旧熊本藩の直系... 続きを読む

古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

スポンサードリンク

プロフィール

古荘英雄

Author:古荘英雄
一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

ブログ村ランキング参加中

ブログ村古代史ランキング参加中

PVランキング参加中

ブロとも申請フォーム

検索フォーム

QRコード

QR