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  • そうなると天照の活動時期は3世紀の前半です。  57年    倭奴国が朝賀し、印綬をたまわる 107年  倭(面土)国王師升等が生口160人を献じる           178~83年 倭国大乱          (189年 公孫氏の自立、204年 帯方郡の開設) 238年  倭の女王卑弥呼が難升米らを帯方に遣わす(同年、公孫氏滅亡) 266年  トヨのの使... 続きを読む
  • 現在の行政区分を頭から取り除くために地図をひっくり返しています。純粋い地政学的に九州を俯瞰してみる。山地として。海として。そうすると5つに分けることができる。と思う。1は、対馬海峡勢力圏筑紫平野や直方平野を取ることで有明海にも豊後水道にも勢力が伸ばせるから、3つの海にかかわる最大パワーになりがちだが、闘争も絶えないかもしれず、案外まとまった国としてはいまいちパワーがないかも。ヨーロッパはたくさん国が... 続きを読む
  • 南九州の地図を見ていると猿田彦神社が高千穂や鹿児島にありました。福岡市内のよく通る道に猿田彦神社があるのでもちろんそれがオリジナルだと思っていたのですが、全国でどれだけあるのかなと思ったら、なんと若狭湾とか琵琶湖とか尾張、河内にありました。何なのでしょう・この猿田彦の数は。そしてよく見るとこれはまさに天孫降臨といわれる進路の通り道ではないですか。見事に。以下は想像です。猿田彦は道案内。博多湾に上陸... 続きを読む
  • 天孫降臨というのは対馬海峡勢力もしくは、列島以外の勢力が対馬海峡から九州か日本海沿岸に上陸したことだと思っていました。ところが南九州に注目して地図をみていると高千穂に天孫降臨したというのは、なんだか筑紫方面からそこに向かったような気がして来ました。日田経由、で阿蘇を抜けて、筑紫から遠く離れた高千穂の山で、ここまでくれば大丈夫、筑紫も熊本も無関係の土地だ。文明化した有明海国家の勢力圏外。ここから先を... 続きを読む
  • 倭国大乱を帯方郡はどうやって知ったか?行ったか。伝え聞いたかの二つしかありません。わざわざ混乱の島に苦労していかないでしょう。まあ、聞いたのでしょう。 拘邪韓国は倭地です。するとこの拘邪韓国から馬韓経由で帯方郡に情報が入ってくる。列島の倭から壱岐・対馬へ。そこから拘邪韓国へ。そこから馬韓へ。馬韓から帯方郡へ。この伝言ゲームが成り立つには本当に衝撃的な、戦乱や争いが列島で行われていたからです。だ... 続きを読む
  • 姫巫女たちがいます。おそろしいほど姫巫女たちがいて、国家の象徴の役割を果たしています。そんなのは日本だけですね。女の巫女はギリシャにもいましたが、アテネにもスパルタにもテーベにもマケドニアにもいたということはない。でも古代日本には国に一人いた、感じ。巫女は男もいたそうで、女の巫女のことを姫巫女というそうです。 ここまで聞いたら、卑弥呼って、姫巫女のちょっと変形した発音と感じますね。そしてどの国... 続きを読む
  • 越です。若狭湾から北東方向。山陰道です。若狭湾から西方向。これでみると若狭湾は越、出雲、大和の真ん中です。ここに国があれば、越、大和、出雲の物流、文化がすべて通過します。ということはつまり、新羅をはじめ半島も出雲経由で。大和経由で尾張や阿波や吉備も来る。越経由で諏訪や東北のものも来る。そして、北部九州や対馬海峡のものも来る。まさに地理的には丹波が世界の中心です。さてそのような交易圏がいったん若狭湾... 続きを読む
  • 邪馬台国のほぼすべては仮説の話です。これほど対馬、壱岐まではまあ大丈夫だけどそこから先は、有力説なるものはあるが、一切断定できない。なんという壮大な想像の産物であろうか。でも、真実どこかにあったので、これまた楽しい話しだ。 ぼくは邪馬台国筑紫平野説です。でも、他の場所であったなら、どういうことになるかということを考えてみたいと思っています。仮説は検証していって、もっとも嘘がないのが真実だという... 続きを読む
  • 帯方郡の魏の世界観現代の私たちはたとえヨーロッパにいてもドアトゥドアで、1日半あれば日本の家に帰り着くというイメージを持っています。ところが、明治期では40日はかかると思っていた。さて、旅や移動の概念の話です。古代人が、日本で考えてみて、ちょっと旅に出るというと、片道10日、滞在、10日、帰路10日くらいで軽く1月はかかる。これを現代のものさしで眺めると大変な旅をしたように見えるが当時は当たり前。... 続きを読む
  • 香椎の宮についてウィキペディアには「香椎潟はかつて香椎に存在した遠浅の入江で、明治期までは南の名島と北の香住ヶ丘の丘陵に挟まれた地域で、現在の西鉄貝塚線およびJR旧香椎操車場のあたりまで海岸線が湾入していた。 奈良から平安前期には、橿日廟・香椎宮は朝廷から特殊な扱いを受けていたとみられ、朝廷との関わりの深さにもかかわらず『延喜式』神名帳にも掲載されていない。 特に当初は新羅との外交に関わる場合に使いが... 続きを読む

古荘英雄

一人灯のもとで古代史を紐解き探求しています。
魏志倭人伝、日本書記、古事記をもとに考えたこと、語りあったことなど
徒然に記します。

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Author:古荘英雄
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